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東京高等裁判所 平成9年(う)50号 判決

本籍

長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉四二四一番地

住居

東京都港区南麻布五丁目一〇番三二号の七〇一

会社役員

荻原直枝

昭和一三年五月二一日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成八年一一月二七日長野地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官高井康行出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大矢勝美及び同藤田玲子共同作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官高井康行作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、被告人は、本件相続税の申告を公認会計士税理士星武典事務所に依頼していて本件各預金が除外されたことには全く関与しておらず、右事実を知らされてもいなかったのであるから、被告人が本件申告手続に関与した旨の星の下で本件申告手続を担当した税理士の原審証人栗田のぶ子の証言に基づいて本件犯罪事実を認定し、被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。

原審証人栗田のぶ子は、平成四年五月一一日ころから同月一四日ころまでの間に被告人から本件相続税額の仮集計を依頼され、最初に一八億三七九四万二九〇〇円の税額を計算して告げたところ、驚いた被告人から二六億円の債務とその資料の存在を告げられたので、右債務を含めて計算をし直し、一億三八七〇万四五五〇円の税額を告げると、被告人からよかったという発言があった、その後、星及び被告人が同席する席で星又は被告人から相続する資産に一二億八〇〇〇万円を加えて再度相続税額を試算するよう求められたので、九億二五一三万三三五〇円の税額を算出して被告人らに告げた、その後一二億八〇〇〇万円の資産の資料について尋ねたが、被告人からその残高証明はない旨告げられたので、右資産については計上せずに本件申告書を作成した、同月一九日に申告書を完成させて被告人にその概要を説明し、押印をもらって総額一億三一八七万六四〇〇円の相続税納付書を渡した旨供述している。これに対し、被告人は、原審及び当審公判廷において、相続税の申告手続はすべて星に任せていたので、自分は本件申告当時森泉山の取引に関する二六億円の債務や本件各預金の存在は知らなかった、栗田に三回の仮集計をさせたことや本件申告書に自ら押印した事実はないと供述している。

そこで検討するに、被告人は、被相続人荻原孝一に関する相続税申告書の作成を星事務所に依頼したが、税務署に提出された被告人名義の申告書には、森泉山の取引に関して生じた孝一名義の債権債務のうち、二六億円の債務は計上されていたのに約一五億円の本件各預金が計上されていなかった。このことは、証拠上明らかな事実であるところ、このようにひとつの取引から生じた債務のみを記載し、そこから生じた資産を計上しない申告が不正な申告にあたることは誰の目にも明らかなことであるから、被告人から依頼された税理士が、直接の利害関係を持つ被告人の了解がないのに、独断でこのような明らかな不正行為をするというのは、よほどの特段の事情のない限り、考えられないことである。しかるに、本件証拠上からは、このような特段の事情をうかがうことはできず、また、税理士の過失によって右のような申告となった可能性も全く認められない。

さらに、栗田証言を要約すれば、被告人は、森泉山の取引を除外して算出された税額が多額であることに驚き、情を知らない担当税理士に森泉山の取引の中の債務のみを計上されて試算させた後、資産をも計上させて試算させてみたところ、かなりの多額になるため、資産については証明書類がないと言って申告書に計上させずに、完成させた申告書に押印したというのであって、この事実経過は、まことに自然な内容であって、それ自体高い信用性があると認められる。

他方、被告人の供述は、被告人が本件申告当時森泉山の取引に関してある程度の知識を持ち、二六億円の債務や本件各預金の存在を認識しており、かつ、被告人が本件申告書に自ら押印したことが関係証拠上明らかであるのに、このような事実さえ認めようとしない点に照らしても、信用することができない。

これに対し、所論は、様々の点から栗田証言の信用性を争っているので、以下に所論指摘の主な点について、判断を示すこととする。

一  所論は、栗田証言によると、一二億八〇〇〇万円の資産を加算した三回目の仮集計の際星が同席していた記憶があるというのであるが、右仮集計が実際に行われた平成四年五月一二日又は一三日に星は事務所に出勤しておらず、右仮集計には立ち会えなかったのであるから、栗田証言は客観的な事実に反し、その信用性を否定すべきであると主張する。

しかしながら、栗田は、星が同席していたか否かについて断定しているわけではない。また、右事実は、被告人が二回目の仮集計の際に二六億円の債務を計上させたことや三回目の仮集計後に一二億八〇〇〇万円の資料の存在を否定したという栗田証言の根幹に響く事実ではないから、栗田の右の点に関する記憶が曖昧であるといって栗田証言全体の信用性に影響を及ぼすものではない。

ちなみに、星が本件申告の内容にどの程度関与していたかは証拠上明確ではないが、少なくとも平成四年五月一九日の時点で、星は、栗田が作成した本件申告書の内容が、明らかに不正がであることを知りながら、それを栗田に告げずにそのまま承認したものとうかがわれるところ、右行為は納税義務の適正な実現を図ることを使命とする税理士の任務に違反し、厳しく非難されなければならないが、そのことが被告人の本件犯罪行為の成否に影響を及ぼすものではない。

二  所論は、本件各預金のうち定期預金証書二通を保管し、本件各預金の残高証明書を見ている被告人が、本件各預金の金額を一二億八〇〇〇万円であると言い間違えるはずはないから、被告人が一二億八〇〇〇万円の加算を指示した旨の栗田証言は信用することができないと主張する。

そこで検討すると、被告人は、平成三年一二月一八日に高橋伸二弁護士事務所において下村文彦弁護士や立石善一公認会計士から聞きとった森泉山に関する取引内容を整理したメモを残しているが、そこには孝一が本件二六億円のうちの一二億八〇〇〇万円を長野商銀に預金したと記載されているにとどまり、本件各預金の金額は記載されていないこと、被告人が平成四年九月一八日に相続財産の調査及び遺産分割を依頼した荻原富保弁護士と打ち合わせをした際、本件各預金の金額を一二億八〇〇〇万円であると説明していることが認められるのであるから、被告人が本件各預金の金額を一二億八〇〇〇万円であると誤解していたとしても不自然ではない。

三  所論は、栗田は仮集計前に本件二六億円の債務や本件各預金の存在を知っていたと認められるので、栗田証言は事実に反していると主張し、その根拠として、栗田は甲三四号証の資料一〇の作成時に本件二六億円の債務を知っていた旨の証言をしているところ、右資料には「ミサワホームの借入金二二億円」及び「返済九月二〇日一二億八〇〇〇万円」の記載があり、かつ、この資料は他の資料と対比すると本件仮集計前に作成されていたと認められるから、栗田は本件仮集計前に本件二六億円の債務と本件各預金の存在を知っていたことになると指摘する。

しかしながら、甲三四号証資料一〇は、栗田が本件相続税申告書を作成する際に検討を要すべき点を書き出したメモであるが、他の資料と対比しても、「ミサワホームの借入金二二億円」及び「返済九月二〇日一二億八〇〇〇万円」の部分を記載した時期が本件仮集計前であると認めることはできないから、右の部分を記載した時期が本件仮集計後である旨の栗田証言との間に矛盾する点はない。

四  所論は、被告人は、平成四年五月一五日及び同月一六日に八十二銀行御代田支店の畑山乾支店長に対し、相続税額がまだ確定していない旨回答しているが、栗田から仮集計の時の税額を聞いていたとすればそれを告げるはずであるから、栗田証言は右事実に矛盾すると主張する。

しかしながら、本件仮集計の数字はあくまで暫定的な数字であって、ある程度増加する可能性もあり、また、そもそも借入金額を当初の予定より減らすことは容易であっても増やすことは困難であるのであるから、被告人としては、大事をとって畑山支店長に明確な数字を告げなかったとしても不自然ではない。

五  所論は、孝一の相続税申告については、後に国税庁による調査が行われることが確実な状況にあり、その際、本件各預金が税務当局に発見されることはわかっており、相続税の納付時期を一時的に遅らせたとしても経済的には何の意味もないのであるから、被告人が本件各預金を故意に除外して申告する動機はないと主張する。

しかしながら、被告人が本件各預金が後に国税当局から確実に発見されることを認識していたという根拠はなく、仮に発見されたとしてもその段階で修正申告をすればよいと考えていた節もみられることから、所論は前提を欠いている。

以上のとおり、所論の指摘する事由はいずれも栗田証言の信用性を左右するものではないから、栗田証言に従って本件犯罪事実を認定した原判決に誤りはなく、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 平谷正弘 裁判官 杉山愼治)

控訴趣意書

被告人 荻原直枝

右の者に対する相続税法違反被告事件について控訴の趣意は左記のとおりである。

平成九年二月二〇日

右弁護人

弁護士 大矢勝美

弁護士 藤田玲子

東京高等裁判所第一刑事部 御中

本件に対する弁護人らの基本的な意見は、原審弁論要旨で述べたとおりである。原判決の事実認定は、重要な事実について、検察官の主張、弁護人らの主張および原審において顕出された証拠いずれとも異なる事実を何らの証拠に基づくことなく推測により認定しており到底容認できない。また、原判決は、被告人の人間像についての評価、さらに証人栗田のぶ子 (以下、栗田という)の立場および同人作成の計算メモ(平成七年押第一八号符号一号、以下、栗田メモという)についての評価を誤り、その結果、誤った判断をなしている。しかも、原判決は、重要な事項に関する論理の展開について重大な誤りをおかしており、特に、仮集計、栗田メモにおける「一二億八、〇〇〇万円」についての論理展開は明らかに誤っており、その結果、重大な事実誤認の結果を招来している。以下、詳述する。

第一 検察官の主張、弁護人らの主張、顕出された証拠いずれとも異なる、証拠に基づかない事実認定について。

一、被告人を有罪とした原判決の事実認定においては、仮集計に関する栗田証言、栗田メモが非常に重要な地位を占めている如くである。仮集計について、原審検察官は、冒頭陳述においては、「平成四年五月一二日ころ」(冒頭陳述七頁)、論告においては、「平成四年五月一一日ころから同月一四日ころまでの間」(論告要旨九、一〇頁)と主張し、そして、仮集計を依頼、指示したのは被告人であると主張している。これに対し、弁護人らは、三回目の仮集計に星武典(以下、星という)が関与しているとの栗田証言を前提にする限り、「平成四年五月一一日ころから一四日、特に五月一二日、一三日は、栗田証言の如き仮集計の事実はあり得ないことを証拠に基づき主張した。なお、弁護人らは、五月一二日又は一三日に栗田証言の如き仮集計がなされた事実が否定される場合は、五月一九日までの間に他にそのような行為がなされた可能性のある日は存在しておらず、その結果、栗田証言全体が否定されるものと思料した。しかるに、原判決は、仮集計の日について、「弁護人は三回目の仮集計の際、星が同席していたとの栗田の供述内容について、星が、同年五月一二日、一三日に事務所に行かなかったことは同人の手帳(平成七年押第一八号の6)の記載等から明らかであるとして、栗田の右供述は信用できない旨主張する。しかしながら、星が実際に桐光学園の監査に赴いたことがあったとしても暫時事務所に立ち寄ることが時間的、地理的条件からみて不可能ということはできない」(補足説明一、3、(二))と全く証拠に基づくことなく推測により認定している。

なお、原判決は、「仮に、栗田が記憶違いなどにより星が同席していたと供述したとしても、被告人が栗田に前記仮集計を支持したことなどの基本的事項に関する栗田の前記供述の信用性に影響を与えるものではない。」(同)とも述べている。しかし、仮集計に星が同席したか否かは、本件事案の全体像に影響を与える重要な事実である。本件は、星の過失によるものか、星の犯罪か、星・栗田の犯罪か、星・栗田・被告人の犯罪か、被告人のみの犯罪であるかについて、その真相が争われている事案であり、検察官は、基本的には被告人のみによる犯罪であることを主張し、弁護人らは、少くとも被告人のみによる犯罪、星・被告人による犯罪および星・栗田・被告人による犯罪でないことを主張した。これに対し、原判決は、実質的には星・被告人の犯罪と認定している如くである。そのような原判決の立場からは、仮集計に星が関与していないということは、本件事案の全体像についての判断の変更をせまられるものであり、「仮に」として論じられる問題ではなく、さらに、その他の部分における星の言動に対する評価にも影響をきたすものである。本件を判断するうえで、平成四年五月一一日から五月一四日、特に五月一二日、一三日に星が事務所に行ったか否かは、厳密に証拠によって判断されなければならない事実なのである。

原判決の事実認定によれば、仮集計は、「平成四年五月一一日ころないし同月一三日ころ」(補足説明一、3、(二))であり、しかも原判決は、「同月一二日ころには、納税資金に充てるため八十二銀行御代田支店に同支店にある孝一名義の定期預金の解約を申し込んだが断られたために、納税資金の借入れを申し込んだことが認められ、右事情によれば、被告人が納税資金の工面のためおおよその税額を把握しておく必要があり、そのため栗田に前記仮集計を指示する必要性もみられること」(補足説明一、3、(一))というのであるから五月一二日より前の五月一一日は実質的には除外され、仮集計の日として問題とされる日は、五月一二日、一三日にほぼ絞られる。

二 証人星は、五月一二日の行動について次の如く証言している。

「手帳の同月一二日の部分のメモをみて、あなたの行動の状況を説明してください。

これは学校法人桐光学園という、これは新百合ヶ丘から行きます、車で一〇分ぐらいのところにあるんですが、そこの高等学校の学校法人の監査をするための記録でございます。

この日は、あなたは事務所に行ってますか。

行っておりません。「6.30pm」と書いてありますが、これは、「Ohno & Tsurumaki at Esp・Club」というふうな記述になっておりますが、これは、本宮の大野さん、ツルマキさんというのが東京へ出てきて、私と一緒に晩御飯を食べようと、これはエスクワイヤークラブで食べようということの記録でございます。したがって、この日は事務所にでておりません。

そうすると、日中は桐光学園の監査をやったんですか。

そうです。

で、夜は知人と会っていたということなんですか。

そうでございます。

事務所には行ってないということですか。

行っておりません。」

(第五回公判星証人調書五〇丁、五一丁)

また、五月一三日の行動については次の如く証言している。

「それでは、手帳の同月一三日のメモを見ながら、同日のあなたの行動を説明してください。

これは桐光学園にまいりますのには、私は千歳烏山に住んでおりますので、事務所に出ないで、まっすぐ成城学園から新百合ヶ丘までまいりまして、新百合ヶ丘で学校の迎えの車に乗って、これは午前一〇時に学校に着きまして、大体四時半から五時まで桐光学園の監査を行います。普通桐光学園のときには、帰りはもうまっすぐ私はうちへ帰っておりますので、この日も事務所には出ておりません。」

(第五回公判星証人調書五一丁)

右証言はいずれも検察官の主尋問に対する証言である。弁護人らは、右証言が同人の手帳という信用性のある証拠に基づくものであったことから、右証言については全く反対尋問をなしておらず、右証言については、原審裁判所からの質問も全くなされていない。それにも拘らす、原判決は、前記の如く述べ、全く証拠に基づかず、星が「暫時事務所に立寄」ったことを事実上認定しているのである。

三 弁護人らは、平成四年五月一二日、一三日に、星が「暫時事務所に立寄」ったか否か、またその可能性の有無について、本控訴審において、星の証人尋問を実施し、明確に事実認定をする必要があると思料するものである。また、星の証人尋問については、弁護人らが、原審弁論を準備する過程でいだくに至った平成四年五月一八日の星の行動に対する疑惑(原審弁論要旨二二三頁以下)の真相を解明するうえでも必要があると思料する。

第二 被告人の人間像に対する判断とこれに関する原判決の矛盾、誤った倫理展開について。

一、本件を判断するうえで、被告人の人間像をどのようにとらえるかは、非常に大きな要素ある。被告人を普通の人間としてとらえるのか、金銭的なことや一般的に重要と思われることに対し常識をかけはなれて無関心な人間としてとらえるか、また、被告人を慎重に考慮して巧妙に弁解する人間ととらえるのか、本件脱税疑惑問題についてほとんど何も理解しておらず全く不適切な対応をしている人間としてとらえるかによって本件の判断は大きく左右されるものと弁護人らは思料する。そして、弁護人らは、被告人の人間像について、金銭的なこと等についてそれが巨額なものであっても驚くべきほどそして常識をかけはなれて無関心な人間であるという認識をしているものであり、また本件脱税疑惑問題についても、それにかかわる個々の事象等について、それらがどのような意味を有するかについてほとんど理解しておらず、適切な対応、弁解ができずにいる人間であると認識しているものである。これに対し、原判決は、原則的には、被告人を普通の人間としてとらえ、「仮に、このような事実があったとしたら、普通の人間であるならば、知らないはずはない、忘れずはずはない」と考え、被告人の「知りません」、「覚えておりません」との陳述を信用できないと判断したものと思料される。

被告人は、平成六年六月二二日逮捕され、その後、勾留されたが、逮捕、勾留されたことの記憶を喪失しており、現在も回復していない。原審における本件審理が開始した当時、被告人は、本件に関する記憶が充分に回復しておらず、また、会話についても弁護人らに十分にその意を伝えることができる状態ではなかった(現在においても字を書くことができない)。被告人は、原審の審理において証人らの証言を聞くに従い、序々に本件に関する記憶を回復してきている。しかし、それにしても普通の人間であるならば、仮にその事実があったとしたら忘れるとはおもわれないことについて忘れており、しかも記憶を一時喪失する以前の国税の質問に対する陳述においても、普通の人間であるならば忘れるとは思われない事実について知らない、覚えていないと述べていることが多い。弁護人らは、原審準備の過程において、被告人に対し、本件預金証書を預かったのではないか、本件預金を知っていたのではないかと数え切れないほどただしたが、被告人の答えは、「知らない」、「覚えていない」とのものであった。特に、本件預金の存在については、平成四年四月三日、長野商銀の残高証明書の交付を受けた事実を記憶しているのであるから、遅くともその時点で本件預金の存在を認識していたのではないかと強く説明すると、「そうなるのでしょうか」、「そうなるかもしれませんね」と答えながら、次の機会に、本件預金を知ったのは何時かと質問すると、国税から知らされたときですとの答えにまた戻ってしまう状態で、弁護人らも、被告人が「知った」という日本語をどのような意味内容で使用しているのか、完全には理解できない状況であるが、しかし、弁護人らは、被告人が嘘をつこうとしているのではなく、普通の言い方とは異なるが、自分なりの真実を弁護人らや裁判所に伝えようとしているという事実については全く疑っていない。

二 原判決は、

(イ) 被告人は、平成三年八月ころには、八十二銀行御代田支店の神田友夫から本件預金のことを聞き知っていた。

(ロ) 被告人は、平成三年一一月二一日、神田英樹から、本件定期預金の証書二通を預かった。

(ハ) 被告人は、平成三年一二月二日ころ、弁護士高橋伸二から、本件各預金が記載された長野商銀の顧客取引内容照会票の写しを受けとった。

(ニ) 被告には、平成三年一二月一八日ころ、弁護士高橋や弁護士下村文彦から一二億八、〇〇〇万円が長野商銀に預金されていることの説明を受けた。

(ホ) 被告人は、平成四年一月一八日ころ、公認会計士立石から一二億八、〇〇〇円が長野商銀に預金されたことの説明を受けた。

(ヘ) 被告人は、平成四年四月三日ころ、長野商銀東部町支店長の高橋和雄から、本件各預金が記載された長野商銀の残高証明書二通を受け取った。

等の事実を認定し、これらの事実から、被告人は、本件各預金の存在を認識していたと認定している。たしかに、普通の人間であれば、一、四七六、七二四、六七四円と二四、八一六、五五六円という巨額の数字が記載された定期預金証書を渡されたとすれば、この事実を忘れるとは考え難い。また、高橋弁護士から渡されたとされる顧客取引内容照会票写には一、五〇三、二五九、二三一円という巨額な数字が記載されている。そして、これは、自己が相続人である被相続人名義の銀行預金の数字である。また、平成四年四月三日に、相続税申告の準備のため星の指示で交付を受けた残高証明書二通には、平成三年一一月二〇日現在一、五〇三、二五九、二三一円、平成四年四月一日現在一、五〇三、二六六、九八一円との巨額な数字がならんでいる。普通の人間であれば、約一五億円の孝一名義の預金があることを十分認識し、忘れるはずはないと思われる。しかし、被告人をこのように普通の人間として考えるとすると、原判決には大きな矛盾が生じているのである。

三 原判決の有罪認定において、決定的な意味を有していると思われる事実は、被告人が栗田メモの三回目の仮集計に関与しており、しかも三回目の仮集計における一二億八、〇〇〇万円は本件各預金を念頭に置いたものであるという点にあると思料される。しかし、本件各預金は、一五億円強であり、一二億八、〇〇〇万円とは、決定的に金額が異なっているのである。この相違について、原判決は、驚くべき誤った論理展開で説明している。原判決は、補足説明一、2、(一)において「被告人の前記ノートの記載、立石から一二億八〇〇〇万円が長野商銀に預金されたとの説明を受け、その後、高橋支店長から、本件各預金以外に孝一とミサワとの取引に関する預金はない旨の説明を受けたことなどによれば、被告人は、孝一が本件二六億円のうちの一二億八〇〇〇万円を長野商銀に預金しそれが本件定期預金となったなどと誤解していた可能性が窺われる。」と述べ、補足説明一、2、(二)においては、「なお、被告人あるいは星が栗田に告げた一二億八〇〇〇万円と本件定期預金等の金額が異なる点については、前記2のとおり被告人が金額について誤解したことなどの可能性があることや被告人が取り寄せた孝一名義の預金の残高証明書の中で十何億もの巨額のものは長野商銀の本件各預金の他にはないことなどから、被告人あるいは星は右一二億八〇〇〇万円とは本件各預金のことを念頭に置いて栗田に指示したと推認できる」と述べている。しかし、補足説明一、2、(一)において説明されているのは、長野商銀の預金の原資についての誤解の可能性であり、金額についての誤解の可能性ではない。普通の人間であれば、前記原判決が認定した(ロ)、(ハ)、(ヘ)の事実からすれば金額について誤解をする可能性など有り難い。(ロ)の事実は、一、四七六、七二四、六七四円と二四、八一六、五五六円との金額が記載された定期預金証書そのものを被告人が預かり保管していたというものである。(ハ)の事実は、一、五〇三、二五九、二三一円という金額が具体的に明確に記載されている金融機関の顧客取引内容照会票写を被告人が受け取ったというものである。(ヘ)の事実は、一、五〇三、二五九、二三一円、と一、五〇三、二六六、九八一円との巨額な金額が記載された残高証明書二通を被告人が受け取りその内容を確認したというものである。しかも、右残高証明書は、約一か月半後を申告期限とする本件相続税申告準備のため星の指示に基づき交付を受けたものである。本件各預金の原資についてどのような説明を受けたことがあったとしても、本件各預金の金額については誤解する可能性など到底窺われないのである。

なお、星についても、本件各預金の残高証明書を受領していることから、本件各預金の金額を誤解する可能性は多くないと考えられるが、原審弁論準備のため本件記録全般を検討したところによると、何故か、星は、本件申告にあたり、森泉山関係の資産、債務について、平成四年五月二〇日の申告においては、当初から申告するつもりはなく、また、その調査についても自らなすつもりはなく、森泉山の税務処理に関与することをあえてさけていたのではないかとの疑いまでいだかざるを得ないものであり、そのような星は、一応残高証明書を取ったものの十分に数字を確認せずに誤った可能性は否定できない。しかし、最も可能性の高いのは、預金証書も、取引内容照会票写も、残高証明書をもみていない栗田が甲三四資料一八、三枚目等の資料から一二億八、〇〇〇万円の資産の存在の可能性を想定し、試算した可能性である。なお、後に述べる如く、原判決の「栗田が依頼人である被告人にとって不利になるような虚偽の事実を殊更述べなければならない特段の事情も窺えない」(補足説明一、3、(一))との認識は、栗田の立場に対する判断をあまりに誤った認識である。

四 また、被告人を普通の人間としてとらえた場合、本件において全く理解できないことは、本件の動機についてである。原判決は、本件の動機について、量刑の理由において、「誠実に納税しようという意思に欠けていた」と述べているのみで、全く触れていない。弁護人らは、原審弁論において、次の如く述べた。「脱税は、経済的な犯罪である。行為者は、税を免れるという経済的利益を目的として脱税行為をする。申告時に一時的に過少な税額を申告したとしても、その後、正当な税額との差額を追徴されるのであれば結果としては税を免れたことにならず行為者にとって意味がない(相続税法第六八条の既遂時期についての判例と異なる主張を述べているのではなく、脱税行為者の実質的な利害について述べている)。孝一の相続税申告については、星会計士や栗田税理士の証言、被告人の次の供述等で明らかなとおりほぼ一〇〇パーセント国税の調査が予定されていた。」、「そして、調査が入れば、被相続人名義の巨額な本件預金が調査対象となることはあまりに明白であろう。被告人又は星会計士において、真に税を免れる意図があったならば、本件申告前又は申告後すみやかに本件預金について隠蔽工作をなさなければ、申告時に本件預金を除外して申告したところで、一時的に、税金の納付を遅らせるだけで、結果として税金を免れることにならず、意味がない。被告人にとって、一時的に相続税の納付を遅らせることなど全く意味のないことである」(原審弁論要旨一六頁以下」。しかし、原判決は、右弁護人らの問題提起に何等こたえていない。原判決においては、本件の動機をどのように考えているのであろうか、経済的動機のない経済的犯罪の認定など弁護人らには到底納得できないものである。原判決の認定によれば、税務当局の調査が予定されている本件相続税申告にあたって、被告人は、金融機関に対する被相続人名義の一五億円を超える預金を、理由もなく、また偽装工作もせずに、「誠実に納税しようとする意思が欠けていた」だけで、申告書から除外して申告したというものである。このような非常識な人間像(納税意識について非常識といっているのではなく、違法として問われない範囲内でより低い税額で納税しようと努力する普通の納税者と比べて、また、判明することがわかりきった被相続人名義の巨額の銀行預金を除外したとの意味で、非常識といっている)と、原判決が右事実を認定する過程で「普通の人間」を前提としてなした事実認定とは矛盾するのではないであろうか。

なお、原判決は、「量刑の理由」において、「被告人は、脱税ための偽装工作はしておらず、本件預金の存在を知らない担当の税理士にその存在を明確に告げなかったというもので」と述べている。しかし、被告人が相続税申告の事務を委任したのは星に対してである。栗田は、星を補助して、本件相続税申告書作成の事務を担当していたにすぎない。そして被告人は、星に対して本件各預金の残高証明書又はその写を渡しているのである。前記の如く、原判決は、本件を星・被告人の犯罪とみている如くである。しかし、本件を星・被告人の犯罪とみた場合、誰もが考えることであろうと思料するが、発覚することがわかりきった、しかも重大な犯罪として問われる恐れのある本件の如き行為を何故なしたのであろうかという疑問である。原判決は、この疑問に何等こたえていないのである。

第三 仮集計、栗田メモおよび栗田証言について。

一 原判決は、栗田証言について、「栗田が、依頼人である被告人にとって不利となるような虚偽の事実を殊更述べなけらばならない特段の事情も窺えない」(補足説明一、3、(一))として、栗田証言の信用性を高く認め、同証言に基づき、被告人を有罪としている。しかし、原判決の認識は、栗田の立場を全く見誤っているものである。栗田は、本件申告書を実質的にはほとんど作成した者としてまた栗田メモの作成者として、本件において、第一の有力な容疑者であったのである。栗田には、自分自身の身を守る必要があった。また、栗田は、昭和五七年に税理士試験に合格したが、試験合格の五年ぐらい前から星事務所に勤務しており(第二回公判栗田証人調書一丁)、原審における証言時においても星事務所に勤務していた(現在も勤務していると思われる)。そのような栗田は、星の利益を守ることも強く要求される立場にいた。このような栗田は、自己の身を守るため、また、星の利益を守るため、やむなく被告人にとって不利な虚偽の事実をいわざるを得ない立場にあったともいえるのである。

二1 栗田メモにおける三回目の仮集計の加算額は、金一二億八〇〇〇万円である。前述の如く、被告人が普通の人間であるならば、また右加算額が長野商銀の本件各預金を念頭に置いたものであるならば、被告人が金一二億八〇〇〇万円と誤って計算を依頼することは考え難い。また、前述の如く星が誤る可能性は否定できないが、最も誤る可能性が高かつたのは栗田である。栗田証言によれば、栗田は、本件各預金の顧客取引内容照会票や残高証明書を見ていない。栗田が見ていたのは、栗田証言によれば、本件相続税申告のため星から預けられた「オウアイティがらみの書類のワンセット」である(第三回公判栗田証人調書五一丁裏以下)。そして、オウアイティがらみの書類のなかには、孝一が金一二億八、〇〇〇万円の資産を有していることをうかがわせる記載が存し(甲三四資料一八)、現に、栗田の書いたメモのなかに金一二億八、〇〇〇万円の数字が存するのである(甲三四、資料一〇)。

2 三回目の仮集計の加算額一二億八、〇〇〇万円と一致する数字が栗田の自筆でメモされている甲三四資料一〇についての栗田証言は、非常にあいまいなものであり、何かをかくそうとしている如くうかがえる。

弁護人らは、本件において被告人が有罪とされた理由の一つは、被告人のノート(平成七年押第一八号の9)の一二億八、〇〇〇万円との記載と栗田メモの一二億八、〇〇〇万円が一致していたことにあると思料しているものであるが、この観点からすると、同じく栗田メモの数字と一致した数字が栗田の自筆によりメモされている甲三四資料一〇(このメモについては、被告人が全く関与していないことは明らかである)は、本件を解明するうえで重要な証拠といえる。以下、甲三四資料一〇について検討する。

(一) 甲三四資料一〇が作成された時期について。

(1) 作成時期についての栗田証言は、次の如きものである。

(イ) 仮集計の前か後かについて、「それ以前からメモはあったかもしれませんけれども、全部記載が、例えばこの〈2〉のことにつきましては仮集計した後に決められたことだと思います。」(第二回公判栗田証言調書三二丁、三三丁)

(ロ) 「甲三四の資料10のメモは、五月一四日ごろ作ったとお聞きしてよろしいですか。

一四日の前に記載されてると思います。

一四日の何日ぐらい前ですか。

それはちよっと、特定は私の記憶の中ではできないんですけれとも、一四日の前だと思います。

一週間も前ということはないでしょうね。

それはちょつと私の税額計算……ちょっとそこまでははっきりと覚えてません。

あなたの証言によりますと、星さん又は直枝さんから一二億八〇〇〇万円を加算して税額計算をするようにといわれた日について、五月の一一日から一三日ごろの間だというふうに証言してますが、そういうことでよろしいですか。

これにつきましても、私ももう一度いろいろと思い起こしまして、はっきりとした確証が取れないと思います。なぜ一一日からとか言われましても……。

あなたは、どういう証言したかは記憶されていますね。

はい、そうです。

あなたの前回あるいは前々回の証言では、五月の一一日から一四日まで可能性があって、まあ一四日の可能性はほとんどないという証言だったと記憶してるんですが、それでいいですか。

そうです。そのときに検察のほうでもいろいろと調べてくださった事項とかで、それ以外に新しい事実とかというふうなものもなかったように思いますので、一応そのぐらいの時期だというふうに私は思えますけれど。もう一つ私に引っ掛かるところは、短期間で直枝さんと星とで相談しなくちゃいけないことがありましたから、それが二日間ぐらいでできたのかどうか、スケジュール的な問題でちょうど合うのがあるのかというのがちょっと引っ掛かるんですけれども。

そうしますと、甲三四の資料10のメモをつくった時期と、星さん又は直枝さんから一二億八〇〇〇万円を加算して税額を計算するように言われた日とずれがあるとすると、最大どのぐらいずれますかね。

……‥ちょっとそういうことで考えたことがないもので。

裁判長

なくても思い出してください。

ええ……‥‥。

その日言われて作ったのか、あるいはそれを作るよりも前なのか、そこらへんの区別はつくんでしょう、どうなんですか。それもつかないんですか。

これはですね、税額の試算をした後のような気がいたします。

聞かれてるのは、メモを作成した日とずれるのかどうかを聞いているんです。

それはずれます。

大体、どのぐらいの期間になりますか。

それほど長い期間ではないと思います。

一週間以内あるいは一〇日以内とかいろいろありますけれども、どういう感じですか。

一週間ぐらい。」(第四回公判栗田証人証書七丁以下)

(2) 右の栗田証言の内容は曖昧であり、右証言のみでは作成時期を特定することはできない。そこで、その内容を分析し、作成時期を検討することとする。

栗田証言によれば、〈1〉~〈3〉の項目は先に記載され、後に、「未収入金二四〇、〇〇〇」等の部分が記入されたようである。甲三四資料二五は、栗田証言によれば五月一四日までに作成されていたものである(第二回公判栗田調書五三丁表)が、同資料〈5〉の「三六五、五三八、五八五」の数字は、甲三四資料二二の〈6〉の数字と一致し、同数字は、同〈1〉の「二四〇、〇〇〇」が前提となっている(資料二二の〈6〉の数字は、〈1〉、〈3〉、〈4〉、〈5〉、〈6〉、の合計額である)。そして、甲三四資料二二の〈1〉の数字は甲三四資料一〇の「未収入金二四〇、〇〇〇」から転記されたものと思われるので、甲三四資料一〇に、「未収入金二四〇、〇〇〇」が記入されたのは、五月の一四日以前である。しかも、栗田証言によれば、「私がまだ解決していない事項につきまして羅列をまずしました」(第四回公判栗田証言調書四丁表)というものであり、その後、被告人らと相談等して、(第四回公判栗田証言調書四丁以下)解決し、その結果を前提として五月一四日までに作成されていた甲三四資料二五の数字ができている。そして、前記した甲三四資料一〇の作成時期についての裁判長の質問に対する栗田証言によれば、同資料は、五月一二日又は一三日に作成されたと思われる栗田メモと同日に作成されたものではなく、栗田メモの作成日と若干日があいていた如くである。そうすると、甲三四資料一〇のうち「まだ解決していない事項につきまして羅列をまずし」た(第四回公判栗田証人調書四丁表)〈1〉~〈3〉の項目部分は、栗田メモより前に記載されたと考えざるを得ない。栗田の申告書作成作業を想定して考えると、甲三四資料一〇は、栗田が甲三四資料一一等の「相続税がかかる財産の明細書」を下書きする過程で、未解決事項をメモしたものと考えるのが最も合理的である。栗田が栗田メモを作成するにあたり森山靖彦に「相続税がかかる財産の明細書」五枚を渡した(第二回公判栗田証人調書一一丁裏以下)ときには、の〈1〉~〈3〉の項目部分は、既に記載されていたと推定されるのである。

(二) 甲三四資料一〇の記載内容と栗田証言について。

(1) 甲三四資料一〇の記載には、「〈3〉ミサワホームの借入金に二二、〇〇〇、〇〇〇 返済9/20 一、二八〇、〇〇〇、〇〇〇」とメモされている。このメモについての栗田の証言は、次の如くである。

(イ) 「資料10を示します。〈3〉に、ミサワホームの借入金二二億、返済九月二〇日一二億八、〇〇〇万円、というメモがあるんですが、これはあなたが書いたメモですか。

はい、そうです。

これはなぜ、こういうふうなメモをしたんですか。

オウアイティ絡みの書類の中に、ミサワホーム借入金というのが二二億円というふうに書いてあったと、私思いましたので、二二億円と記載しました。それで返済九月二〇日と書いてありますので、一二億八、〇〇〇万円と記載しまして、最終的に二六億円の債務が計上されるのかなというふうに勘違いしたんです。それでメモをしたものです。」(第二回公判栗田証人調書五七丁表)

(ロ) 甲三四の資料一〇に戻って下さい。このミサワホームの借入金二二億というメモについてですが、これは何が未解決要素だったんですか。

これは未解決ということではなくて、ミサワホームからの借入金が二六億残っているというふうにありましたから、たまたまオウアイティの資料を見ていましたから、ミサワとの取引の「ミサワ」という記載がありましたから、ただそれをちょっと拾い出したにすぎないんです。で、最終的にオウアイティがらみとミサワとの取引が幾らであろうと、孝一先生個人のからみでは相続税の問題は何もないと思いますので、最終的にはこれは何も意味のない数字というふうに考えていただいたほうがいいと思います。

後から考えれば意味のない数字かもわからないけれども、書いた当時はどういう趣旨で書いたんですか。

ですから、書いたときには借入金の残が二六億円残るんではないかというふうに私が錯覚したと思います。

二六億との関係があるのではないかと、あなたが錯覚したということですか。

そうなんです。

その右側の返済九月二〇日一二億八、〇〇〇万円についてですが、これは先ほどの甲三四の資料18の三枚目の九月二〇日の部分をメモしたんですね。

はい、そうです。

一二億八、〇〇〇万とその右下の六百何万かという数字に丸印が付いていますが、これは誰が付けたか記憶ありますか。

知りません。

先ほどの甲三四の資料10に戻りますが、返済九月二〇日一二億八、〇〇〇万円というメモについては、何が未解決問題だったんですか。

ですから、この項に関しましては未解決事項ということではなくて、単に私のメモというふうに解釈していただいたほうがいいと思います。」

(第四回公判栗田証人調書七丁)

(ハ) 一二億八、〇〇〇万円という数字が全く一致しておりますから、証人は一二億八、〇〇〇万円という数字を加算して計算させられたのは、孝一さんのオウアイティに対する一二億八、〇〇〇万円の債権、又はこのミサワホーム借入にて一二億八、〇〇〇万円という、その関係であるとは考えませんでしたか。

いや、考えませんでした。

一二億八、〇〇〇万円という全く一致した数字ですけど、その関連性は全く考えなかったんですか。

私自身は、そういう関連はなかったです。」(第四回公判栗田証人調書九丁裏)

(2) 右の栗田証言から、非常に重大な事実が判明する。仮集計、栗田メモより以前に記載された甲三四資料一〇の〈3〉をメモする時点で、栗田は、「最終的に二六億円の債務が計上されるのかな」、「ミサワからの借入金が二六億残っているというふうにあ」ったことを知っていたのである。もともと栗田は、荻原家の経営する会社やその一族のほとんどの税務について実務を担当していたのであり、栗田が二六億円の債務を知らなかったというのはあまりに不自然であると弁護人らは考えていたが、栗田は、右二六億円の債務のことを仮集計前から知っていたのである。そして、翻って考えてみると、栗田は、本件相続税申告書作成作業のため星から「オウアイティがらみの書類のワンセット」を預かっていた(第三回公判栗田証人調書五一丁以下)ものであり、作業の過程でオウアイティがらみの書類を検討しているのである。そして、二六億円の金銭消費貸借契約書(甲三四資料五)は、オウアイティがらみの書類ワンセットに入っていたのである。税理士である栗田が相続税申告書作成のために渡された書類のうちに入っている被相続人名義の二六億円の金銭消費貸借契約書を見落としていたなどとの事実は信じ難い。前記「ミサワからの借入金が二六億残っているというふうにありましたから、たまたまオウアイティの資料を見ていましたから」との何気なくなされた栗田の証言は、栗田が仮集計の前に既に二六億円の金銭消費貸借契約書を見ていたことを明らかにしてしまったのである。なお、栗田は、オウアイティがらみの書類ワンセットの中には、本件残高証明書や顧客取引内容照会票は入っていなかったとの趣旨の証言をし、また、甲三四資料一八について、1から6のうち1から4までを申告前に見た記憶であると証言(第二回公判栗田証人調書四五丁)しているのであるから、「オウアイティがらみの書類ワンセット」は、一応すべて点検していたはずなのである。

甲三四資料一〇とこれに関する栗田証言を検討すると、一回目の仮集計のとき、栗田は二六億円の債務の存在を知らなかったという栗田証言が事実に反するものであることが明らかになるのである。

(3) 甲三四資料一〇には、一二億八、〇〇〇万円とメモされている。オウアイティがらみの書類ワンセットを検討すると、専門家であるならば、被相続人である孝一がオウアイティに対する一二億八、〇〇〇万円の立替金債権(なお、五月一八日に立石から送付された未収利息である)を有している、又は、その返済をうけ現に右金員が残存している可能性は容易に読みとることができる。栗田は、オウアイティがらみの孝一の資産・債務について、甲三四資料五から二六億円の債務を認め、これを前提として二二億円(事実は、二億二、〇〇〇万円)と一二億八、〇〇〇万円が二六億円とどのように関連するのかについて問題点として甲三四資料一〇にメモしたものであろう。しかし、栗田が右の事実を述べれば、栗田自身が最も疑われることになる。このため、栗田は、二六億円の債務を知らなかったと述べてしまい、これが仮集計、栗田メモに関する被告人に不利な、事実に反する栗田証言になってしまったのではないかとの疑いをいだかざるを得ないのである。

(4) 三回目の仮集計が一二億八、〇〇〇万円を加算して計算されていることは、右仮集計に星も関与しておらず、栗田一人でなされた可能性が高い。三回の仮集計自体が全て栗田が一人でなした可能性が高いのである。そして、栗田メモの如き書類は、申告書を作成する過程で税理士が通常作成する内容の書類である。原判決は、栗田の証言について、「仮集計の計算過程は、前記計算メモ及び『相続税がかかる財産の明細書』の各記載と符合し」と判示しているが、右各書類は、いずれも申告書作成の過程で作成された書類であり、符合するのが当然なのである。

(5) 仮集計、仮計算に関する栗田証言を検討すると、さらに大きな疑問点が出てくる。税額についての三通りの計算結果を出しながら三つの数字のどれを選択して申告するかについて、いつ、誰が決定したかについての話が全く欠落していることである。まさか、栗田は、「納税資金がこれぐらいでしたら、ああよかったなあ、という感じで言われた」(第二回公判栗田証人調書一七丁裏)こと、三回目の仮集計をしたあと、お手洗いで、被告人から残高証明はいいですといわれたこと(第二回公判栗田証人調書二〇丁裏)をもって、二回目の仮集計の数字に決定したというのではないであろう。栗田証言からは、二回目の仮集計の数字で申告することを誰がいつ決定したのか全く判然としないのである。この点において、弁護人らは、栗田が星をかばって重要な事実(たとえば電話による申告方針についての星と栗田の打合せの事実等)を述べていないことを疑っているものである。

三 原判決は、前記の如く、栗田証言の信用性を高く評価しているが原判決の立場からは、次の栗田証言は、どのように評価されているのであろうか。

「星には、申告書の財産総額だとか債務総額だと課税額だとか、そういう数字を報告していますか。

一応、申告書をお見せしましたし、口頭でのものを私がちょっと説明を加えました。

そのときに、二六億円の債務について星に説明しましたか。

はい、しました。

概要、どのように言って説明したんでしょうか。

債務二六億円を計上しましたので納税額が一億三、〇〇〇万円ぐらいになります、ということでお話ししたと思います。

そのとき星は、何と言いましたか。

そのときに、二六億円の債務ということを言いましたら、エッ!という感じでびっくりしていましたので、私のほうがびっくりしましたけど。

エッ!というふうに声を出したわけですか。

はい。

星としては、意外だったというような態度だったんですか。

えヽ、そういう雰囲気でしたから。

星がそういう態度だったから、それを見てあなたもびっくりしたということですか。

星が、エッ!といってびっくりしましたので、そのときの申告書には添付書類がついていませんでしたから、債務のわかる借入金証書をすぐに持ってきて星に見せました。

完成した申告書だと、添付書類があるわけですね。

はい、そうです。

星に見せた申告書には、添付書類の分は付いていなかったんですか。

付いていなかったと思います。

そのためにあなたは二六億円の金銭消費貸借契約証書の写しを持っていった、ということなんですか。

えヽ、そうなんです。で、星に説明いたしまして、借入金の名前は孝一先生の名前になっていましたから、これは孝一先生の債務ではないんですか、ということで確認いたしました。

それに対して、星は何と言っていましたか。

債務ではないということの説明はなかったですから、それで、後で修正申告みたいなことを、そのときに言われたと思います。

あなたに対して星が、修正申告しろといったんですか。

いいえ、そうではなくて、財産の中には、まあ財産の中というよりか、孝一先生そのものにつきまして隠れた債務があるかもしれないということは、星も把握していたように感じましたので、まあ、それを含めたところで修正と言うことをおっしゃっていたように、私は感じましたけれど。」

(第三回公判星書人調書二丁以下)

原判決の認定によれば、星は三回目の仮集計に関与していたものであり、そうであれば二六億円の債務が計上されたことを驚くはずもなく、また原判決は「仮に星が本件二六億円が相続財産と関係ないと言っていたとすれば、栗田から本件二六億円もの多額の債務を計上して作成した本件相続税申告書を見せられた際、なにゆえこれの訂正を指示しなかったのか不可解である」(補足説明一、3、(二))というのであるから、二六億円の債務が申告書に計上されていることを五月一九日にはじめて知って驚いたとの星の言い訳を全く信用していないようである。そうであるならば、栗田は、「具体的かつ詳細であって不自然なところがな」い右の如き虚偽の証言をしているのである。

四、仮集計に関するものではないが、栗田は、次の如き重要な証言をしている。

「国税局の調査が入って後、星さんは相続人からどうして約一五億の預金を申告しなかったか聞かれましたね。

私はその場にはおりませんでした。星のことですから、私は星からそのようなことは聞いておりません。

相続人から星さんが聞かれたという話は、あなたは知らないということですか。

……ええ、それも私には直接話はなかったと思います。

証人は、相続人から聞かれませんでしたか。

直枝さんから聞かれたことがありました。

いつごろ、どのように聞かれましたか。

長野の軽井沢病院に出張しましたときに、聞かれたような気がします。

それは、いつごろでしょうか。

ちょっと日にちは定かではないんですけれども。

何と聞かれましたか。

そのときに、どうして長野商銀の預金を計上しなかったのかという質問を受けました。

直枝さんから、あなたに対してですか。

ええ。

で、あなたは何と答えなんですか。

私はその理由は知りませんし、申告前に一五億円の預金のことも知りませんでしたから、私にはその回答はできません、よくわかりませんということで直枝さんにお話をした記憶です。」(第四回公判栗田証人調書一丁以下)

故意に、本件預金を除外して申告した者が、税理士に対し、右の如き質問をするであろうか。弁護人らは、栗田の右証言のみによっても被告人は無罪と認められてしかるべきであると思料するものである。

第四 畑山証言に関連する事実認定について。

一 原判決は、「被告人は、畑山に対し、同月一五日、一六日とも相続額はまだ確定していない旨回答したことが認められる」(補足説明一、3、(二))と認定しながら、「前期仮集計の結果を踏まえて、右畑山に対し回答をしたとしても、特段不自然というほどではなく」と述べる。しかし、原判決によれば、被告人が栗田に仮集計を依頼したのは、「被告人が納税資金の工面のためおおよその税額を把握しておく必要があ」(補足説明一、3、(一))ったためであり、しかも融資実行日が五月二〇日であることを考慮すれば、おおよその税額が判明し次第、即座に八十二銀行に知らさなければならない状況にあったのである。このような状況にあった被告人が仮集計の数字を知らされながらおおよその税額を畑山に伝えないことは特段に不自然であり、これを「特段に不自然というほどでなく」と判断した原判決の常識を疑わざるを得ない。畑山は、被告人に対し、本店の電話番号まで知らせ、五月一五日、被告人からの連絡をまっていたのである。五月一四日までには、甲三四資料二五の数字まで出ていたのであるから、これを被告人が知らされていたら、おおよその数字として即座に右数字は、畑山に伝えられているはずなのである。しかるに、被告人は、「まだ決まらない」と伝え、ほぼ幾らくらいという話も畑山にしていないのである(畑山証人調書七丁)。被告人は、五月一九日までに本当に税額を知らなかったのである。なお、五月一六日の御代田の本宅における被告人らと畑山らとの話しあいにおいて、それまで三億前後であった納税額が二億五、〇〇〇万円前後になったことについて、原判決は、何等言及していない。しかし、被告人が仮集計の数字を知っていたのであるならば、五月一六日に三億円にかわって二億五、〇〇〇万円という数字が出てくることは、あまりに不自然である。

二 原判決は、甲一二添付融資協議申請書の作成時期について、それが金融機関作成の信頼性のあるものであり、また畑山の客観的な証言があるのにもかかわらず、「後に作成された可能性がある」(補足説明一、4、(二))と認定し、また星が五月一九日、事務所に戻った時刻について「星の午後五時一五分以降との右供述の裏付けはなく」(同)と述べているが、あまりに乱暴な事実認定である。

弁護人らは、被告人が税額を知らされた時期と五月一九日に星事務所に行ったか否かについては、次の如く考えていた。税額については、確定し次第、一刻も早く八十二銀行に知らせなければならない状況にあり、このことは栗田も被告人も十分に認識していた。従って、五月一九日に税額が確定した段階ですみやかに、電話にて、栗田から被告人に知らされ、また被告人から八十二銀行に知らされた。これは一九日の午後であったと思われる。そして、右確定した数字に基づき栗田が作成した納付書を五月一九日夕方又は夜に被告人は星事務所に受け取りに行った。なお、被告人は、五月一九日に星事務所に行ったことを記憶しておらず、この事実も否認しているが、五月二〇日に被告人が納付書をもって御代田に行っていることからして、五月一九日に被告人が星事務所に行っている可能性は高い。そして、栗田から納付書を受け取るとき、本件申告書に被告人が捺印した可能性もあり得る。

しかるに、原判決は、被告人が税額を栗田から電話で知らされたという事実を被告人が星事務所に行ったという事実と両立しない事実の如くとらえ、前記の如く無理なあまりに乱暴な事実認定をしているのである。原判決は、「畑山の同日午後六時までに融資協議申請書を作成したとの点については、同申請書に相次相続控除の適用により減税となった旨の記載があるところ、畑山は同月二〇日に八十二銀行御代田支店に赴いた被告人から右相次相続控除の話を聞いたと供述していることに照らすと、同申請書はその話のあとに作成された可能性がある」と認定しているが、畑山証言を「畑山は同月二〇日に八十二銀行に赴いた被告人から相次相続控除の話を聞いたと供述している」と判断すること自体が疑問である。なお、この点については原審弁論要旨二〇九頁以下において述べている。

第五 一枝および敏孝の代理人問題について。

原判決は、被告人が「実質的に本件相続税の税額の確定に関与し、栗田に本件各預金を本件申告から除外させた」のであるから、被告人は一枝、敏孝の代理人であったと認定している。しかし、既に述べたとおり、被告人は、栗田に本件各預金を本件申告から除外させたことはないし、税額の確定に関与したこともない。被告人が一枝、敏孝、のために脱税をしなければならない理由など全くないのである。

第六 原判決の星証言、栗田証言に対する判断は、弁護人らにとって納得のいかないものである。弁護人らは、本控訴審において、問題点を絞って星および栗田の証人尋問を実施し、本件の真相の解明をはかられることを望むものである。

以上

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